残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

報道の自由

このブログでは、これまで政治的なことは書いてきませんでしたが、今回は何やら政治的な匂いのするタイトルをつけてみました。といっても政治的なことを書くわけではありません。 報道の自由とは、主に権力からの自由を意味するのではないでしょうか。取材や…

難思議を帰命せよ

前回の記事で私は、親鸞聖人の『和讃』にある「難思議を帰命せよ」という文言に触れました。それに関連して、今の私の考えをまとめてみたいと思います。 今私は、念仏を唱える生活を続けています。このブログの表題、残された人生を考えたとき、なぜ私は「念…

いちばん大きなもの

だいぶ前の記事で、物理学と阿弥陀仏の物語には似ているところがある、ということを書きました。 www.thinking-about.com 私は物理学の専門家でもありませんが、宇宙やそれに関連した相対性理論、量子力学などに興味があって、専門書ではないのですが、その…

極楽浄土の存在

今現在、私は念仏を唱える毎日を過ごしています。しかし、実際に自分で念仏を唱えるまでには、時間がかかりました。浄土の教えそのものには、ずいぶん前から納得はしていたと思います。特に『歎異抄』に書かれている内容は論理的であり、私にとっては、大変…

酒井義一氏のご法話を聴いて

今年(2020年)に入ってコロナウイルスの影響があり、講演や法話を聴く機会が少なくなってしまいました。そこで、Youtubeなどのサイトで講演や法話を聴く機会が多くなりました。その中で、つい数日前に視聴した法話について、書きたいと思います。講師の方は…

ある法話会にて

ある法話会に参加をしました。浄土の教えに関する法話でした。 お話の後に、講師の方が参加者からの質問を受ける時間を設けてくれました。その時、ある年配の女性が、何度も質問をしてきたのです。 その質問内容は、仏教や浄土の教えに関しては、かなり初歩…

損することと得すること

阿満利麿先生の本の中で、強く印象に残っている一節があります。「歎異抄」を訳された本で、第三章の阿満先生による解説の部分です。 自己の欲望を追及することが人生という近代以降の風潮のなかで、自己中心であることが原因で起こる摩擦、軋轢、悲劇を認め…