残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探してみたいです。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。多分に宗教的な雰囲気にもなっていくかもしれませんが、直接宗教を題材にしたブログではありません。

物を持つことについて

先日、車の定期点検に行きました。
もう7年くらい乗っているのですが、大きな問題はありませんでした。ただ、ワイパーのゴムが劣化して交換を勧められましたが、まだ大丈夫と断りました。だからまだ交換はしていません。

物を持っていると、必然的にやらなければいけないことが増えます。
車ならば、点検や車検、雪が降る季節にはスタッドレスタイヤに交換して、その度に予定をたてて時間とお金をかけるのです。もちろんガソリンも入れなければいけません。
出かけたら出かけたで、駐車場を探さなければいけません。それもできるだけ安いところを調べて、空いているところを探し回ります。

今年はスマートフォンを落とし、ディスプレイが割れてしまって交換修理を依頼しました。
店に持っていって交換修理を依頼する前に、バックアップの取り方を調べることから始まります。店では代替機を貸してくれましたが、そのためにいくつか書類を書き、かなりの時間がとられました。そして、修理が終われば店に引き取りに行き、データを復元させて設定をやり直します。ディスプレイを保護するフィルムも新しく買いに行き、貼り付けました。

そんなことも面倒くさがっているのか、と呆れる人もいるでしょう。
確かに面倒ではあります。ですが、私には面倒ということとも少し違う感覚があるのです。

若いころの私は、今より物欲は強かったと思います。
物を持つこと自体が楽しみであり、そのためにお金と時間を使ってきた気がします。
そして、かつての私なら、スマホの修理が終わったら、その設定やフィルム貼りも楽しんでやっていた気がします。
車のワイパーをカー用品店に行って探すのも、楽しんでいたように思います。

ですが今の私は、本当にそれは必要なのだろうか、と考えてしまうのです。
車やスマホだけではありません。その他の身の回りにあるもの全てです。
キッチンをみると沢山の食器類や調理器具、様々な調味料やそれを入れるもの。鍋掴み、台布巾などの細々したものが目に入ります。
リビングにはソファやクッション、カーペット、照明器具、テレビとテレビ台、DVDプレーヤー、ミニコンポ、本棚…。

物を持つことにより、それを手入れをする必要が生まれてきます。日常使う物でも、出して片づけて掃除して、やることは増える一方です。
そしていつかは故障をして壊れます。そこでまた、時間とお金を使うのです。
もう物は極力持ちたくない、と思ってしまいます。

車やスマホはどうでしょう。スマホは連絡手段として必要でしょうが、あんなに様々な機能はいらないのです。機能が多ければ、設定する手間も、トラブルが起こる可能性も増えて、それに対応する手間もかかります。
車は手放すことも考えています。大きなものを運ぶときに必要だと考えても、今の私に、そんなこと1年に何回あるというのでしょう。
行動範囲が狭まるかも、と考えても、いったい私はどういう行動をする前提で考えているのでしょう。その引き換えにかかる手間を考えると、車を持ち続ける理由は私にはほとんどないことに気付きます。
パソコンどうでしょう。これは必要です。現に今、こうしてブログも書いているわけですから。
それでも、パソコンにかかる手間を考えると、私はため息が出てしまいます。
つい最近もセキュリティーソフトの期限が近づいたため、もっと安いソフトに買い替えました。そのために色々調べて申し込みをして、ダウンロード、インストールを行い、これも調べながら設定をしていきました。
パソコンはさすがに必要ですが、物としてもっている以上、やはり手間はかかります。
必要性を感じる物にさえ、自分は無駄なことに時間とエネルギーを使っているのではないか、という疑問が常について回るのです。

極端な面倒くさがり屋だな、と思う人もいるでしょう。パソコンの設定ぐらい面倒くさがらずにやりなよ、と言われると思います。
ですが私は、物を持ち、それを維持していくために費やされていく時間を、もっと減らしていきたいのです。
その浮いた時間をどう使うのか、特にありません。その浮いたお金や時間を、代わりの何かに使いたい訳ではないのです。それに代わる有意義なことが思い浮かぶわけでもないですし、求めてもいません。
ですが、物を持つことによって、それの維持に追われるかのように時間を使うよりいいのではないかと思うのです。

もっとも、私のような考え方の若者が身近にいたら、もしかしたら私は心配になってしまうかもしれません。
「大丈夫か、無気力すぎないか、まだ若いんだし、欲しいものだってあるだろう。そのために働いて、時間とお金を使うんだろう」と声をかけてしまうかもしれません。

大変矛盾しているのですが、これからの自分の生き方考えた時、つまり生きるというのは日常の積み重ねだと思いますから、その日常を考えた時にふと、物を持つこと対する疑問が浮かんでしまうのです。